島の航海日誌

日誌(毎日更新するとは言っていない)

【ネタバレ】『「宇宙戦艦ヤマト」という時代 西暦2202年の選択』を観ました。

【はじめに】

 新型コロナウイルスの流行による緊急事態宣言の発令、それに伴う公開延期を経て6月11日遂に封切りとなった新作(総集編に非ず!)『「宇宙戦艦ヤマト」という時代 西暦2202年の選択』。かくいう島も、札幌シネマフロンティアの初回上映を見に行ってまいりました。

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 折り悪く、公開日(06/11)の予定が確定したのが前日の夕方。夜21時に帰宅、0時に座席を確保し、朝4時に起床、バスの始発よりも早いので徒歩40分で最寄り駅に向かい、6時発の特急に揺られて10時前に札幌に到着。翌日がバイトなのもあり(※決して地元に友達がいないわけではありません。多分)、上映終了後1時間弱で札幌を出立。帰宅したのは夜19時…"ヤマト"のためなればこそ成しえた、3時間睡眠後の14時間近い旅程。二度とやらんと心に誓いました。

 

 ※それはそれとして、ここから先は『時代』の感想をネタバレも含んでつらつらと書き並べてまいります。ネタバレを回避したい皆様はブラウザバック推奨※

 

 

 

あっ!ネタバレを警告してくれる新2号機だ!

 

\ ネタバレアルゾ!キーツケロヨ! /

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かわいいですね。

 

 

 

 

【新規カットのクオリティがエグい】

 特報で絵コンテが公開されて以来、長らくヤマト二次創作界隈の注目の的となっていた新規カット―――いわゆる『前史』にあたるパート。人類史上初めて月面に到達したアポロ11号の打ち上げから始まり、火星移民内惑星戦争(戦闘前夜)、そして2度に渡る火星沖海戦

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 もちろん国連宇宙軍の艦艇群は一部除き3DCGモデルのカラーバリエーションですし、新規デザインのメカも僅か数カットの止め絵ですが、恐ろしく精緻な描きこみ。随所に某二次創作作品を想起させるカットもあり、二次創作界隈の端くれとして嬉しい限り。特に「2199」を彷彿とさせる手描きディテールアップが再び見られたのは感無量でした。

 

明朝体字幕と作戦図が最高にキマってる】

 ドキュメンタリー形式としてまとめ上げられた本作を象徴する字幕。「2199」のように全てのキャラやメカ、場所の肩書を…というほどではございませんが、ツボを押さえて随所に挿入された「年月・出来事」の字幕が気分を盛り上げる構成。まるで歴史の教科書を読んでいるような錯覚を覚えました。

 また、小説版「2202」に先立って登場となった、皆川ゆか先生手掛ける作戦図もカッコいい。「2202」本編ではやや物足りなかった戦術・戦略面を、本編の描写を拾い上げつつしっかり補完してくれて最高でした。劇中では僅か数秒しか映らない作戦図ですが、劇場パンフにはしっかり掲載されてるので全人類買いましょう。買え。

 

【2202は直球勝負】

 さて、こちらも情報公開当時ヤマト二次創作界隈でにわかに盛り上がっていた「土星沖の再構築」。前史パートへの力の入りようから「ココもリメイク?」「フェーベ航空戦くるか」と憶測が飛び交ってましたが、こちらは設定面の再考証がメインとなり、新規カットの追加による戦闘風景や艦隊陣形の変更…みたいな修正は一切ありませんでしたね。

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 個人的に前史パートのクオリティで土星沖海戦を始めとする「2202」の戦闘シーンを根本から再構築してほしいという思いもありましたが、あえて「2202」のまま突き進んだ点に関しては、この作品をあくまで「2202」の総集編という位置づけに置いた「2202」製作陣の意地というか、矜持みたいなものを感じられたので個人的には嬉しかったです。

 個人的に一番上手いなぁと思ったのは「決戦場が土星沖になり、主力艦隊が地球軌道上に待機していた」という描写への理由づけ。11番惑星襲撃を踏まえつつ、クライマックスの展開にも繋がる形で着地させた皆川先生の手腕にはただただ脱帽です。あと『時間断層第一層 兵器工廠』の字幕が好き。我が家さんも仰ってましたが、やっぱり「工廠」の方がカッコいいですもんね。

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【真田さんの言葉が、熱い】

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 『時代』ではインタビューへの回答という形式で解説役を担った真田さん。

 しかし、その枠に留まらない情熱的な言葉が印象的でした。ここではいくつか抜粋してご紹介します。

・『もう一度話したかった、過去ではなく未来のことを』

・『矛盾と向き合うことを恐れない』

 前者はイスカンダルで命を落とした親友・古代守を悼んで、後者はその弟・古代進という人間を表して真田が語った言葉。彼との最後の会話で、それぞれの形で「未来」を見つめていたがために、「過去」を振り返ることしかできなかった悔恨。友人として、軍人として…自分の前に横たわった矛盾と向き合うことから逃げ、命令という合理的な論理に従ったことへの後悔があるからこその言葉だと思います。そんな彼だからこそ、矛盾と向き合い罪を背負ってでも心に従った古代進という男を見つめるにふさわしかった。

 総集編として「2199」と「2202」を続けて見ると、真田さんの描き方ががらりと変わっていることに気づきました。人物像的な意味でも、物理的な描き方―――作画という意味でも。

 『2199』ではメルダ少尉の処遇を巡る幹部会議に代表されるように、頭の固い『コンピューター人間』らしい冷徹な態度や生硬な表情が特徴的。古代進と衝突するシーンも描かれていましたね。

 それに対して『2202』は、合理性だけではなく『人の心に従った』場面がクローズアップされ、表情もそれに伴って柔らかいものになっていく…そんな変遷が印象的でした。

 『2199』での真田さんの描写の合間合間に、『2202』以降の真田さんの情感あふれる語りが挟まる…編集の妙による相乗効果で、それぞれの真田さんの特徴がより強調されて感じられました。

・『他者との関係は痛みを伴います、時に取り返しのつかないほどの痛みを』

・『苦しくても傷ついても殻にとじこもることなく』

『2199』では、どこか不器用で誤解されやすい人物として描かれた真田さん。しかし、古代兄弟と出会い、親友として、上官として、そして戦友として過ごした日々。上で挙げた二つの台詞には、そんな日々の経験が凝縮されている気がします。

 どこか『紫の巨人』の物語にも通じるメッセージですが、それだけ普遍的なものである…ということの証左でしょうね。

 

【劇伴のズルさ】

①『元祖ヤマトのテーマ』

 「2199」におけるイスカンダル遠征の往路後半を超駆け足で振り返るパートで流れた一曲。第17話で描かれた古代進と真田の和解の握手を皮切りに、バラン星に展開するガミラス大艦隊の突破シーン、ガミラスイスカンダルの秘密、そして帝都防衛戦…。

 説明的な場面も多く、ともすれば単調で退屈になってしまいがちな場面も、BGMに負けない疾走感でまとめ上げられていました。特にバラン星のシーンを銀幕で見たのが初めてだったので、迫力とカタルシスに圧倒され胸が熱くなりました。「2199」パートで一番泣きそうになった場所。

 ちなみに『時代』が初リメイクヤマトという皆さま、この区間には本来「七色星団海戦」という「2199」きってのベストバウトがございます。気になった人はぜひ「2199」の総集編である「追憶の航海」も観ておくれ。

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②『果てしなき戦い』

 個人的に『2202』の代名詞だと思っているこの一曲。もちろん使われたのは『第三次火星沖海戦』のクライマックスでしたが、本編とは異なりここでは我らが"銀河"艦長・藤堂早紀の決断のテーマとして使われていたように感じられました。

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 本編ではアンドロメダ改の艦橋にイーターが突き刺さった直後から流れ始める、ブラスの重低音が響き渡るパート。孤軍奮闘する山南艦長とのシンクロ率や予告編での芹沢さんの演説から、『いぶし銀の男たち』という印象が強かったメロディーの印象ががらりと変わりました。

 『これは私たちの、"人間"の艦だ!』…藤堂三佐の決然たる叫び。高垣さんの熱演や勇壮なメロディと相まって、あの瞬間の藤堂三佐の横顔が最高にかっこ良かった。劇場に行ってよかった。某『紫の巨人』の話ではありませんが、"神"の領域に近いアケーリアス文明の遺産に、"人"が放った槍が届いた瞬間。『回生篇』を劇場で目撃してから2年半余り、このシーンはやはり何度見てもいいもんですな…

 

③『Great Harmony BGM』~『Great Harmony ~ For yamato2199』

 Twitterでも言いましたが、劇場で大泣きしました。本編ではBGアレンジ版が最終話の演説シーンで使われていた分、シーンは予想できており、やはり的中。原曲にして『星巡る方舟』EDの平原綾香さんによるオンボーカル版が使われることになったのは佐藤敦紀さんのインタビューで聴いていた分、イントロが流れ始めた段階で「ここであの歌詞が!」と早くも涙腺が活動を開始。

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 森雪のように力強く希望を呼びかけるだけではなく、高次元空間にそびえる"樹"の中で悲しみに沈んでいた古代進の横に立ち、その悲しみを優しく受け入れるような平原さんの歌声…『古代進は地球を救ったぞー!』に始まる森雪の叫びで決壊寸前だった涙腺が、完璧なタイミングで響いたこの歌声で完全に崩壊。

 劇場で『ヤマト』を見ること3回。初めて泣きました。

 

④『宇宙戦艦ヤマト2202』

 『大いなる愛』と共に『2202』クライマックスを振り返るパートから流れ始めたスタッフクレジット。目で追っていると、画面の片隅に『宇宙戦艦ヤマト』の文字が…あれ?今回オープニングなかったよな…?

 アポロ11号に始まる宇宙開拓の歴史。そして他者―――地球外生命体との接触。痛みを伴い、選択を繰り返しながらも、殻に閉じこもることなく、困難に立ち向かい続けた『ヤマトという時代』を振り返る真田さんの真っ直ぐな言葉と共に流れ始めたイントロで胸がいっぱいになりました。まだ見ぬ宇宙への憧憬を掲げて始まった『宇宙戦艦ヤマト』という作品。写実的なタッチ、社会派な作品である『時代』が最後に『SF』としてのヤマトに着地する…。

 しかし島は精神年齢の低いオタクなので、そんな理屈を抜きに『OPがEDで流れる』という王道演出に大興奮したのでした。

 そして流れる『2199』『2202』のスタッフロール。改めて関わった人々の多さに圧倒されました。

 

【この作品が公式で作られたという意味】

 劇場で鑑賞中、『時代』は異質な作品という印象を受けました。

 『本編の補完を挟んだドキュメンタリー的な作品』としての在り方は、ヤマト二次創作の名作やファンによる解説・考察を彷彿とさせる、『ヤマトシリーズ』としては異質なもの。

 もちろんこの違和感は、初見勢に対する『リメイクヤマトは昔のアニメの焼き直しじゃないよ』という製作陣からのメッセージでしょう。ですが僕はそれだけではないと思っています。

 劇中、ガミラス大使のバレルはこう語っています。「人間の想像力に限界はない」。

 想像力を持った人間たちが切り開く次世代の"ヤマト"サーガ―――『時代』が持つ異質さは、そのための指標となるためのものではないのか。

 これまでの『ヤマト』と世界観を異にした『スターブレイザーズΛ』。

 時系列のミッシングリンクを補完する『黎明編・アクエリアスアルゴリズム』。

 そして過去作の再構築を掲げた新作『2205・新たなる旅立ち』。

 これら次世代のヤマト作品に対して『こんな作品でもいいんだよ』という指標(あるいはこういう作品はこういう反響を呼ぶよという実験台)となる作品。この作品そのものが、これからの『「宇宙戦艦ヤマト」という時代』の先駆けなのかもしれませんね。

 

【『時代』が抱える矛盾】

 以前、Twitterで興味深い記事を見かけました。

 "昨今は「設定が緻密に練られ、伏線が散りばめられた作品」よりも「頭を空っぽにして、一目見ただけで楽しめる作品」が好まれやすい傾向にある"

 ―――片言隻句このままとは言えませんが、概ねこういった内容の記事でした。この見解の是非や真偽はさておき、2202は本質的には前者に属する作品でしょう。 

 福井さんがインタビューや劇場パンフレットで繰り返している通り、2202には現代社会にも通じる熱いメッセージが込められています。ですが、『2202』という作品を一度見ただけでそれが伝わるとは限りません。とりわけ『2202』に関しては、本編の本筋とは関係ない要素がノイズとなって、そのメッセージが伝わらなかった…という事例を数多く見てきました。

 そのメッセージを「一度見ただけ」で理解するには、それをメタ的視点―――劇中の世界と現在の世界を同時に俯瞰する、鑑賞者本人と同じ視点からの補助的解説が必要になります。

 本編の特典映像としてよく取り上げられる、監督や脚本家・スタッフ陣のオーディオコメンタリーがそれにあたるかもしれません。しかし、それは決して「劇場公開作品」であることと両立はしません。『作品』として鑑賞する場合は、それらの情報でさえノイズになってしまうからです。

 俯瞰的な解説を散りばめながら、一本の映像作品として完成させる―――そんな「矛盾」を打開する結果として選択されたのが、本編の登場人物を解説役に配した「ドキュメンタリー形式」でしょう。

 『2202』本編からノイズを取り除き、本質的な情報を抽出するだけではなく、ナレーションと解説役を配することで世界観の理解の足掛かりとする…「ドキュメンタリー形式」という特異な形式は、ファンを取り込むためのハッタリであるだけではなく、毛色の異なる複数のリメイク作品を、俯瞰的に総括するうえで必要な措置だった…と考察します。

 

【終わりに―――宇宙戦艦ヤマトという時代】

 タイトルにもなっている『「宇宙戦艦ヤマト」という時代』…それはいつの話なのか。答えは劇中終盤、真田さんが語っています。

 『宇宙戦艦ヤマトが象徴する、今という時代』

 この言葉は、話者を誰に設定するかによって二つの意味で読み解けます。

 

宇宙戦艦としての"宇宙戦艦ヤマト"が象徴する今という時代

 この言葉を『真田志郎』という人間の言葉として解釈した場合です。

 彼が語る『今』は、"ガミラス戦争"・"ガトランティス戦役"二つの戦争を終えた23世紀初頭―――地球外知的生命体との接触、それによる彼女の抜錨に端を発した変革の時代。

 真田がメッセージを投げかけたのは23世紀の地球の人々です。

 

アニメ作品としての"宇宙戦艦ヤマト"が象徴する今という時代

 この言葉を、脚本を手掛けた『福井晴敏氏』の言葉として解釈した場合です。

 当時の世相を反映して誕生しながら、時代の潮流や大人の事情に流されるうちに単なる娯楽作品になってしまった『宇宙戦艦ヤマト』という作品。これを、21世紀の現代を生きる人々に、その心に再び響く作品にしたい…『2202』展開中、福井氏は幾度となくそんな話をしていました。

 福井氏にとっての『今』…それは文字通り、バブルの隆盛とその崩壊、度重なる大災害、疫病の流行に苦しめられた20世紀末から21世紀初頭という混迷の時代。

 そこには「過酷な時代を生きる無名の人間」―――過去の模倣や思考放棄により、選ぶという行為やその苦しみから逃げ続け(ることを余儀なくされ)た人々がいます。

 

 この作品はタイトルを読んで字のごとく、『宇宙戦艦ヤマトという時代』を生きる人々に捧げられた作品です。それは、『宇宙戦艦ヤマト』と共に時代を歩んだ人々=ヤマトファンに対してだけではない。

 『2202』で描かれた人々のように―――過酷な社会の中で、現実や論理に身を委ね、心を殺して生き続ける人々に捧げられた作品。

 

 ラストシーン、時代の象徴である"ヤマト"を前にして真田は語ります。

 

 ―――この宇宙にはまだ多くの他者が存在する。たとえ取り返しのつかない痛みを抱えることになろうとも、我々は彼らとの関係の中で生きていくしかない。

 そんな過酷な世界の中で、目の前の公然たる利益を捨てて自分の心を救うことを選ぶのは決して容易ではないだろう。

 しかし、困難なことだからこそ、我々は選ばねばならない。平和への希望がそこにあることを信じて。―――

 

 この言葉に何を感じるか。それは今この記事を読んでいるあなた次第です。

 『宇宙戦艦ヤマト』は、他でもない『あなた』の物語なのだから…。

 

 駄文とも蛇足ともいえるこの記事を読んで、誰か一人でも『時代』を鑑賞してくれれば…こんなに嬉しいことはありません。過酷にして混沌たる"宇宙戦艦ヤマトという時代"。そんな時代を生きる一人でも多くの人々に、この記事が響いてくれれば幸いです。

 7,000字近く長々と書き連ねてしまいましたが、それだけ心を動かされたということでどうかご勘弁くださいませ。クソデカ感情の言語化に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。[終]